わすれ水みず きっとどこかに 忘我流 一定在哪里
野中のなかや木陰こかげを流ながれる、誰だれにも気きづかれないような水みずの流ながれを忘わすれ水みずといいます。 在田野间,树荫下,轻轻流淌,不为人知的溪流,就是忘我流。
川かわやせせらぎと呼よべるほどでもない、ささやかな流ながれ。草陰くさかげに見みえ隠かくれして、途切とぎれ途切とぎれに流ながれているので、和歌わかの世界せかいでは今いまにも途切とぎれそうな恋こいのたとえによく使つかわれています。 没有山川河水的涓涓之声,只是那样默默地流淌着。因在草丛里,忽隐忽现,断断续续,因此,常被比作穷途末路的恋情,而在和歌里吟诵。
野山のやまを歩あるいていて忘わすれ水みずに出会であうと、清涼剤せいりょうざいのようなほっとした爽さわやかさを覚おぼえますね。 漫步山野,邂逅忘我流之时,那般清新凉爽,直沁心头。
悲かなしい事件じけんばかりの新聞しんぶんの中なかで見みつけたほっとする記事きじ。時々出会ときどきであう、名前なまえも知しらない笑顔えがおの素敵すてきな人ひと。 如同在挤满悲伤报道的报纸的一隅瞥到了一首小诗。又如同时不时偶遇的未曾谋面,但笑容可掬的面容。
脚光きゃっこうを浴あびるわけでもなく、存在そんざいすらも知しられていないけれど、どこかで当あたり前まえのようにひっそりと流ながれているはずの忘わすれ水みず。 从不显山露水,甚至根本不为人所知,就那样自由自在地、静静地、轻轻地、默默地流淌着的忘我流。
そんな存在そんざいが、心こころのよりどころになったりするのですね。 就是这样的存在,也常常会成为你我心里歇息的驿站,停泊的港湾。
|